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東京高等裁判所 昭和59年(う)545号 判決 1984年11月30日

被告人 石井昌夫

昭一二・九・二二生 会社員

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人斉藤誠及び同福田盛行が連名で提出した控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これをここに引用する。

所論は、要するに、原判決が被告人は四六キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転した旨を認定したのは事実を誤認したもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのであつて、その理由として、右速度認定のより処とされた速度測定装置の設置方法に関する原審証人柏田格男の供述(以下、柏田原審証言という。)は信用できず、したがつて右装置の設置方法が適正であつてその測定結果が正確であるとはいえない旨を主張している。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討することとする。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五三年八月二日午後二時一二分ころ、道路標識により、その最高速度が三〇キロメートル毎時と指定されている横浜市港北区高田町一七〇一番地付近道路において、その最高速度を一六キロメートルを超える四六キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転して進行したものである。」というのであり、原判決が右公訴事実どおりの事実を認定したものであることは、所論の指摘するとおりである。

関係証拠によると、本件速度の測定に用いられたJMA―一六八A型レーダ式車両走行速度測定装置は、正確な測定結果を得るためには、その検出部の電波投射方向が車両の走行する道路と二七度の角度となるように設置することが必要であり、それは本来車両の進行してくる方向に少くとも一〇メートル離れた地点にとつた目標点に置いたポール等を検出部の照準器でのぞいて行うのが通常であるが、右本来の目標点とは点対称の関係にある地点にとつた目標点を一八〇度回転させた照準器でのぞいて行うこともできることが明らかである。

ところで、本件における右速度測定装置の設置方法に関する唯一の直接証拠である柏田原審証言の要旨は、次のとおりである。

「自分は、速度違反の取締のため、畑はつ子、矢作盛ら数名の同僚警察官とともに本件当日現場に赴いた。自分は現認係として本件装置の設置にあたつたが、検出部に三脚を取り付けることなく、これを天満宮バス停留所のコンクリート路面に直接置いた。三脚は、取締現場に持つて行つているが、使用しないこともある。自分は、所定の角度に設置するにあたり、取締対象車両が進行してくる方向(綱島方面)には本件装置の取扱説明書の指示するとおりに目標点をとることができない地形であつたので、目標点を綱島方面とは逆の子母口方面に一〇メートル先の地点にとり、道路上に腹這いとなつて一八〇度回転させた照準器をのぞいて行つた。その際同僚警察官が目標点に位置して金属性巻尺を立てていた。自分は、検出部付近に位置して速度違反車両の現認にあたつたが、被告人の運転する車両の速度を測定したところ、一六キロメートル超過の四六キロメートル毎時であつたので、これを記録係の畑はつ子に通報した。また、当日、現場にいた警察官から取締方法に異議を申し立てている者があつたから検出部の設置場所を覚えておくように、との指示を受けたので、片付ける際雨でも消えないチヨークで印をつけた。後日、池内重雄警部補が本件速度違反に関し本件現場で行つた実況見分に立会つた際、自分は右チヨークの印を確認して、これに基づいて設置場所を指示説明した。なお、自分がこの現場で速度違反の取締の現認係を担当したことが、本件当日を含め一〇回以上あるが、検出部の設置地点は、本件当日の位置と一〇ないし二〇センチメートル位ずれることがあつても、何メートルも違うことはなかつた。」

しかしながら、右柏田の原審証言の信用性には、次のような諸点から、疑問を容れざるをえないのである。

(1)  柏田は、原審では、右のとおり、これまでに何回も速度測定装置の検出部を本件と同一ないし二〇センチ位ずれた地点に設置したと証言しているが、当審では、これを否定することなく、目標点を車両の進行してくるのと逆の方向にとり照準器を一八〇度回転させてのぞいたのは本件当日が初めてであると証言しているのである。関係証拠によれば、検出部を柏田証言のいう本件当日の設置地点ないしその付近に設置した場合には、車両が進行してくる方向に一〇メートル以上離れた地点に目標点をとることは地形上困難であることが明らかであるから、目標点は逆方向にとらなくてはならないはずである。そうすると、柏田は、本件地点でしばしば目標点をとることなく目測で角度を定めていたのではないかとの疑いが残るといわざるをえないのである。

しかも、柏田の原審証言によると、本件装置の取扱説明書の指示に違反して当日検出部に三脚を取り付けなかつた理由について、記憶が必ずしも鮮明ではないが、急いでいたためであるというのであり、また、同人の当審における供述によると、設置場所がコンクリート面であるため安定性を得るのが困難であつて設置に時間を要するというのであるが、関係証拠上、三脚を取り付けたうえ安定するように設置することが特段困難であつて時間がかかるものであるとはうかがわれず、むしろこれを取り付けた方が容易に所定の角度を得ることができると認められるのであり、柏田が三脚を付けるのを省略したのは手間を省こうとしたためではないかとの疑念を否定できないのである。そうだとすると、柏田が、本件当日にかぎつて所定の角度を設定するため真夏の炎天下(八月二日午後一時過ぎ、天気晴れ)にコンクリート路面上に腹這いとなつて照準器をのぞくという面倒な作業を行つたというのは、いかにも不自然であるといわなければならない。

(2)  柏田は、前記のとおり原審証言において、本件当日、同僚警察官が、自分が検出部を設置する際目標点に金属性巻尺を立てており、また、自分に右設置地点を覚えておくようにと指示を伝えたというのであるが、当審証言において、右補助をしないし指示を伝えた警察官がそれぞれ誰であつたか記憶していないというのであつて、その供述は必ずしも明確ではなく、更に、柏田は、前記のとおり、原審証言で、右のとおり指示をされたので雨でも消えないチヨークで印をつけておき、後日実況見分に立会つた際右チヨークの印を確認し、これを検出部の設置地点として説明したというのであるが、右の補助ないし指示の存在についてみると、当日柏田とともに取締に従事した同僚警察官畑はつ子及び矢作盛の原審における各供述中にこれを裏付けるものが見い出せないし、また、実況見分当時におけるチヨークの印の存在についてみると、実況見分をした池内重雄は原審証人としてこの存在を否定する供述をしているのである。このように、柏田原審証言は、重要な点で明確でなく、また、裏付を欠いており、更には相反する証拠すら存するのである。

右(1)、(2)のような点を考えると、柏田の原審証言の信用性には多分に疑問をいれる余地があり、柏田は本件当日検出部を設置する際に所定の角度をとろうとするにあたつて目測によつたのではないかという疑いを払拭することができないのである。

以上に説示したとおり、本件当日速度測定に用いられた装置の検出部が正確に所定の角度をもつて設置されていたことについての唯一の直接証拠である柏田の原審証言はその証拠価値に疑問があるといわざるをえないのであるから、本件装置の測定結果を正確であるとしてこれを被告人運転車両の速度とはなし難く、結局、被告人が原判示のとおりの速度で普通乗用自動車を運転したと認めるに足りる証拠はないことに帰するのである。

そうすると、柏田の原審証言を措信し、右検出部が正確に所定の角度をもつて設置されたものであるとしたうえで、原判示事実を認定した原判決は、証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものといわなければならない。そして、右の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから(訴訟条件の存否を左右するものである。)、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決をすることとする。

本件公訴事実中、被告人が昭和五三年八月二日午後二時一二分ころ道路標識によりその最高速度三〇キロメートル毎時と指定されている横浜市港北区高田町一七〇一番地付近道路において普通乗用自動車を運転したことは争いなく、また、原審で適法に取調べられた関係各証拠により認められるところである。その際被告人が同車を四〇キロメートル毎時の速度で運転して進行したことは被告人が原審第三回公判期日において承認しており、これは原判決挙示の関係証拠によつて、十分その真実性が裏付けられているところである。

右のとおり、被告人が原判示日時に、道路標識によりその最高速度が三〇キロメートル毎時と指定されている原判示道路において、その最高速度を一〇キロメートル超える四〇キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転して進行したことが証拠上認められるのであるが、被告人の右所為は道路交通法一一八条一項二号の罪にあたる行為であるから、同法一二五条一項、別表により同法九章の反則行為に該当し、かつ、記録によれば、被告人は、同法一二五条二項各号に掲げる例外事由がないと認められるから、同章にいう反則者に該当するというべきである。

しかし、記録によれば、被告人は、最高速度を一六キロメートル毎時超える速度で普通車を運転した反則行為をしたものとして反則金納付の通告を受け法定の期間が経過しているが、最高速度を一〇キロメートル毎時超える速度で普通車を運転した反則行為をしたものとして反則金納付の通告を受けたことがないことが明らかである。道路交通法一二五条一項の反則行為の種別及び同条三項の反則金の額を定めている同法施行令四五条、別表第三によれば速度超過(一五キロメートル毎時以上二〇キロメートル毎時未満)と速度超過(一五キロメートル毎時未満)とは別個の種別であり、それぞれの反則金の額も異なるのである。したがつて、本件通告の効力は当裁判所が認定した最高速度を一〇キロメートル毎時超える速度で普通乗用自動車を運転した事実には及ばないから、結局右事実について同法一三〇条の手続を経ないで公訴が提起されたことに帰すると解すべきであつて、刑訴法三三八条四号によつて判決で本件公訴を棄却すべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤丈夫 前田一昭 本吉邦夫)

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